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朴槿惠大統領「親日幻想」に騙されるな(2)

母親のイメージが大きく重ねられている

 朴槿惠氏には、とにかく父親のイメージが付きまとう。もう一つ今回、韓国国民が彼女に大きく期待したのは、朴正熙大統領のような強いリーダーシップだ。

 いま韓国人は、強いリーダーシップが欲しくて仕方がない。朴大統領以降の大統領には、それがみられなかった。全斗煥大統領や盧泰愚大統領も期待をされていたけれども、ただ武力だけの強さしかなかった。朴槿惠氏にそれがあるかといったら疑問なのだが、とにかく父親のイメージがある。

 さらに興味深いことに朴槿惠氏には、母親である陸英修氏のイメージも重ねられている。いま韓国のニュースでしきりにいわれているのも、「父親の強いリーダーシップと、母親のソフトなリーダーシップが要求されている」というものだ。陸英修氏は、いまの韓国人にとって歴史的にもっとも尊敬される女性の一人である。

 韓国では大統領はみな賄賂問題を抱え、幸福な最期を迎えた者はほとんどいない。この賄賂問題に、国民はまったくうんざりしている。だが朴大統領とその妻には賄賂問題がなく、倹約家で質素であり、現在でも非常に評価が高い。つまり、韓国国民は朴大統領や陸英修氏のような人間を長らく欲していた。その願望が、娘である彼女に対する多大な期待として表れたのだ。

 私が韓国にいた時代、たとえば映画館に行くと、上映前に必ずニュースが流れた。最初に国旗が映し出され、国歌が流される。するとみな立ち上がり、国旗に向かって右の手を左の胸にかざす。

 すると「今日の大統領ご夫妻は……」とニュース解説が流れる。テレビも同じく、ニュースではまず「今日、朴大統領閣下は○○を視察された」といった内容が報じられる。朴大統領の側には必ず陸英修氏がいて、いつも白っぽいチマチョゴリを着て、髪を後ろで束ねたスタイルをしていた。

 毎日のように「国の父と国の母が今日、何をなさったか」が報じられ、これが16年間も続いたのである。国民は、二人の姿を見るだけで涙が出るほど胸が熱くなる。そして、いつの間にか愛国者になっていく。いま50歳以上の韓国人は、ほとんどがそうした感情を抱いているといっていい。

 陸英修氏は早くに暗殺の犠牲者となったため、代わりに朴槿惠氏がファーストレディーとして登場したのだが、彼女の顔は母親そっくりである。また若いころからつねに髪を後ろに結び、政治家になってからは母親と同じヘアスタイルを変えたことがない。

 いつ何時も、母親のイメージで国民の前に登場する。私も韓国にいたころは、国父の娘で国母の代わりを務める娘だということで、彼女を「韓国のお姫様」と言っていた。年齢が上になるほどその印象が強く、ゆえに大統領選でも年配層に支持されたわけである。

 実際、血筋といった、なにかシンボル的なものが欲しいといった感情が、朴槿惠氏の人気を後押ししたのではないかと私はみている。たとえば、北朝鮮で金正恩氏が後継ぎになったときに、朴槿惠氏の人気も高まりをみせた。

 じつは北朝鮮のシステムをもっとも理解しているのは韓国人だといっていい。世襲はおかしいと口ではいい、独裁政権で経済政策は間違っているのだが、体系的に国が成り立っているということに対する憧れが、韓国人にはある。

 以前、金正日氏が生きていたときに、朴槿惠氏は北朝鮮に行ったことがあり、そこで金正日氏と「二世同士で仲よくやりましょう」と言ったといわれる。彼女の母親は北朝鮮のスパイによって撃たれたわけで、本来ならばそんなことは口にできないはずなのに、である。

 北朝鮮には金日成という王がいる。そこから金正日、金正恩と、力量は不明だが金日成氏のイメージを結び付けて権力の座に就いている。金日成氏の写真はつねに掲げられ、金正恩氏のヘアスタイル、手の動かし方、声も金日成氏そっくりだ。

 これは、北朝鮮の人民が金日成氏に対する幻想を強くもち、その遺伝子が息子や孫へとつながっていることを感じさせるためだ。個人には力がなくとも、遺伝子だけで十分なのである。

 父親が国のリーダーになったら、その子もリーダーになるといったことは世界によくあることだ。子供は自然と政治的な環境のなかで育ち、影響を受け、力をもつからであろう。なかでも東南アジアでは、その娘がリーダーになる傾向がある。

 インドのインディラ・ガンディー首相や、フィリピンのアロヨ大統領もそうだ。そこには血筋を信用したいという国民の気持ちが強くあるのであろう。奇しくも韓国でもそうなったわけである。

期待される賄賂問題の解決は難しい

 いま彼女への期待が強い要因は、両親のイメージがあるからにすぎない。逆に国民の期待値が高いだけに、これからの政治運営は難しいものになるだろう。

 その難しい問題の一つが、賄賂問題である。先ほど述べたように、朴正熙大統領以降、どの大統領も賄賂問題を抱え、最後には国民から虫ケラ同然の扱いをされた。呼び方も、たとえば「盧武鉉大統領」とはいわず「盧武鉉」、あるいは苗字すら付けず「武鉉」といった具合で呼ばれるまでになった。親戚も同様の扱いを受けるのだ。

 そのなかでいま朴槿惠大統領は、「賄賂問題はないだろう、身辺はきれいだろう」と思われている。両親の潔白なイメージに加え、独身であり子供がいないので、悪いことはできないだろう、と思われているのだ。だが、この考えは甘いといわざるをえない。

 韓国には、古くからの「贈与」の慣習が歪んだかたちで強く残っている。恵まれた人は恵まれていない人に援助をする、それが人の上に立つ立派な人物とされる。たとえば親戚のなかで一人が出世した場合、親戚全員の面倒をみるのは当然である。

 親戚に対してだけではなく、たとえば選挙などにおいて身近で助けてくれた人たちに対し、当選したら何かの職を与えるなど、恩返しをしなければいけない。これは伝統的な「美徳」なのである。

 また、出世した人にはモノを差し上げるという伝統もある。いまに始まったことではなく、朝鮮時代からそうだ。現代ではそれを「賄賂」というが、これをとくに悪いこととは思わず、逆に、しなければかえって非難されてしまうのが韓国社会だ。しかも韓国の「賄賂」は、小さなものではない。

 韓国社会で「互いに助け合う」といった場合、細々と小さなものでやりとりをするのはケチだと思われ、してはいけないことだ。助けるならば、大きく助けるのがいい。日本の賄賂問題など、韓国からみればかわいいものである。

 近代になり、政治に携わる人間は身辺をきれいにしなければならないというアメリカ的な風土になっていったとき、ここに矛盾が数多く生じることになる。わずかでも賄賂が発覚すると「不正だ!」と騒がれるため、政治家たちも次第に不正と戦う姿勢を示すようになっていった。

 そのため、かつての大統領たちも本人は賄賂を受けず、親戚にも「賄賂を受けるな」というのだが、周りが勝手に持ってきて、大統領自身が知らないうちに誰かがもらって問題になってしまう。本人だけきれいであっても周りはそうはいかないのだ。

 いま徐々に、社会的にいっさい「賄賂」ができないようにしていっている。だが一方、それが行きすぎて、逆に「きれいごと」が横行し、また社会が萎縮してしまう可能性が出ている。

 以前からその傾向はあった。たとえば韓国では昔から公務員には賄賂を贈るのが当然で、そこから仕事をもらったりするものだった。国家公務員になると、賄賂のほうが給料より高いこともよくある。

 だが近年、公務員は絶対に賄賂をもらってはいけないという意識が強い。私も韓国に行くと、公務員の友人が勤める役所にたびたび寄るのだが、日本からのお土産を渡そうとすれば、ものすごい勢いで拒否される。

 あるいは、ある資料を探して政府関係機関に行ったとき、資料をいろいろいただいたお礼を何げなく渡したら、投げ返されたこともあった。どちらも、大したことのない品なのに、である。

 周りで誰かがみている可能性のあるところでは、たしかに絶対に物をもらわない。しかし、じつは裏ではもらっていたりするのである。

 また韓国では従来、学校の先生に母親は賄賂を持っていく。「うちの子供をよくみてくれ」と。そうして子供を組長や班長にしてもらったりとかするわけだ。だが、そのようなことをいっさい禁じるとどうなるか。

 ある母親が「お礼の気持ちです」といって少しでも何かをあげたことが誰かにわかったら、次々と密告されるという事態が生じる。これでは社会全体が萎縮してしまうだろう。たとえば誰かと食事に行って「私がお金を出すよ」といっても、それすら難しくなる。

 賄賂(贈与)問題はもともとある伝統文化、人びとの精神性であり、これを断ち切るのはきわめて難しい。ゆえに韓国国民が朴氏に抱いている期待も失望に変わる可能性が大きいだろう。

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